お世話になっております。130期主将を務めました森住俊祐です。「弓道は人生の縮図である」私の恩師の一人である辺見先生の言葉です。弓道と向き合った十年間を振り返ると、私の人生が詰まっているとしみじみと感じます。無限の可能性を秘めた後輩の皆さんの人生のヒントになることを願い、お世話になった全ての方々への感謝を込めて執筆します。
私の弓術部人生は、湘誠弓道場で始まりました。中学ではずっとやんちゃしていて、具体的なエピソードの執筆は避けますが、同輩や先輩としょうもないことばかりしていました。当時を知る人は私が後に体育会の主将になるとは露ほども思わなかったことでしょう。肝心の弓道は、指導して貰って、上手くなって、ほめてもらうのがとにかく楽しかったです。生意気な少年として大学生やコーチなど数多くの年上の先輩方とお話しするのを楽しんでいました。
転機が訪れたのは高校一年の冬に訪れたパンデミックでした。「ただ何となく楽しい日々」が終わり、「限られたチャンスを掴む為に、むしゃらに努力する日々」が始まりました。それまでの私は基本的に早気で、目の前の試合にそれなりに準備して、出場したり、しなかったり、中ったり、中らなかったりでした。メキメキ吸収して中てはじめた初心者の同輩や遥か先を行く先輩に触発されてようやく頑張りだそうとした時期に、ちょうどパンデミックは訪れました。一つ上の先輩方は目標のインターハイ予選の機会さえなく引退されました。私も同じ運命かもしれないという危機感は、時間を無駄に出来ないという使命感へ変わりました。不確実な日々の中で、筋トレ用に買った18kgの弓で毎日2,3時間必死に素引きをしました。がむしゃらに前だけ見て練習し続け、幸運にも開催された秋の全国選抜大会予選ではSFC弓術部創部以来、初めて団体優勝をしました。しかし、本命の春のインターハイ予選では、私も含め選手全員が大乱調で夢を掴めませんでした。大会が終わって振り返れば、ついてきているのは頼れる同輩の4人だけ。メンバーは揃っていませんでした。一方、秋は散々な結果だった女子は、学年を跨いで団結し、見事にインターハイ予選を勝ち抜きました。その後、私個人は神奈川県代表の国体選手に選ばれ、関東ブロックを通過、三重国体への出場権を掴んでいました。しかし、こちらもコロナを理由に開催中止。全力で走り抜いた高校生活は不完全燃焼でした。
大学弓道は「チーム」で戦うことが私のテーマになりました。特に、私が一年生のとき主将を務めていた関口さんとの出会いは衝撃でした。関口さんは私が入部する直前、学生王座で優勝し、最優秀選手賞を獲得するなど、個人として輝かしい結果を残されていました。そんな方が私や一年生の他の初心者と膝を突き合わせ、何時間でも後輩のためを思って会話をされていました。内容は弓の技術や組織のあり方、人生相談(?)などなど多岐に渡っていました。人のために惜しみなく時間と労力を費やす姿は高校三年の時の私自身の主将像とは対照的でした。誰かに与えられるだけではなく、自分がチームに貢献する。そんな概念・目的を学びました。
二年目は、私にとってまさに波乱の一年でした。部員数の減少を原因に、チームの方向性に葛藤が生まれました。幹部の先輩方は結果を求め、より厳しい練習体制を志向されていましたが、その方針に共感できない同期や後輩が次々と部を去っていきました。「ついてこられない部員が去るのも仕方ない」という空気に、私は違和感を覚えるようになり、自分自身も退部を考えるまでになりました。そんな時、母校の道場を訪れる機会がありました。そこには真っ直ぐに弓と向き合う高校生たちの姿がありました。一心不乱だったかつての自分の姿を重ね、大学弓術部へ入部した目的を思い出しました。同時に、「体育会弓術部」という組織を、より良い形で後輩へ受け継ぎたいという思いが芽生えました。その年のリーグ戦は、先輩方の執念が結実した戦いでした。私が迷い、遠回りをしている間にも後輩の一年生たちは着実に成長し、力を結集したチームはⅠ部復帰を果たしました。この年の経験は、組織の在り方や自分がどのようにチームに向き合うべきかを深く考える契機となりました。
三年目は殻を破った一年でした。当時の主将、久高さんの元、何でも挑戦しました。代表的なのはマネジメントチームの設立です。マネージャーを組織化し、部活運営に+αの価値を生み出すことが目的でした。例えばHPの刷新は一大事業でした。私の外部の友人の力を借りながら、マネージャーの皆さんの尽力で旧式のものから新式へ移行しました。この引退ブログが掲載できているのもその恩恵の一つです。また、データ活用の道も開きました。矢所を電子データで記録する体制を整え、選手へフィードバックする試みを行いました。今後、弓道を学術研究するベースにも、より高い練習フィードバックを得ることにも利用できるでしょう。このような活動の課程では、部員にとって「弓術部の活動にどんな価値があるのか」という問いと向き合う日々がありました。執筆現在も、マネジメントチームはその活動意義を開拓していることと思います。私個人の競技面では、なんとか自分の型を見いだし、結果を残したいともがく日々が続きました。その課程で後輩の指導という光を見出しました。久高さんが後輩を指導するところに勝手について回り、必死に言葉を噛み砕きました。自分が指導されるより指導している人が何を伝えようとするのか聞くことは非常に勉強になりました。要するに何を達成して中て続けたいのか、指導を通して自分の中で整理されてゆきました。その結果、努力の甲斐あって私の成績は徐々に安定し、チームもⅠ部リーグ3位につけました。
最後の年は集大成。これまでの全てをぶつけました。私が目指したのは、部員の挑戦を全力で応援する主将でした。一年間の取り組みは全て「信じ、頂点へ」という目標に帰結します。弓術部、弓道という競技を舞台に、ひとりひとりが自分の色で活躍してくれると信じ、全力で背中を押しました。日々を振り返ると道場にはずっといましたが、ほとんどの時間を部員とのコミュニケーションに費やしました。私が大学一年の時、衝撃を受けた関口さんの主将像に自然と近づいていったように思えます。もちろん順風満帆にはいかず、離れない、思うように中らない、結果がでない日々もありました。乗り越えられたのは自分自身とチームメイトを信じていたからにほかなりませんし、ご指導いただいたOBの方々をはじめ、支えて下さった方々の力あってのものでした。16年ぶりのリーグ優勝を決めた最後の一本は、一生忘れられない瞬間です。離れた感覚、星に飛んでいった矢、響くよしがけと拍手、あの光景は十年間のどの一本よりも鮮明に焼き付いています。きっと支えてくれた全ての人に中てさせて貰った矢に違いありません。運命のイタズラか、私の引退する場所は高校では叶わなかった三重国体の地、伊勢神宮になりました。私一人の力では到底叶えられない夢を、仲間と一緒に叶えたんだと胸を張って引退できます。
長文となり大変恐縮ですが、弓道と十年間向き合った日々は私にとって宝物にほかなりません。何度も何度も何度も失敗し、悔しい思いをしましたが、その日々こそどんなフィクションよりも尊いものでした。弓道を通して、関わって、指導をいただいて、支えて下さった全ての人への感謝でこのブログを締めさせていただきます。
ありがとうございました。

中学2年 錬成大会 緊張で初矢を矢道の半分くらいの所へバウンドさせました。

大切な高校同期とコーチと引退の日に。マスクの日々でした。

久高さんと掴んだ全国選抜3位。準決勝で私は限界を迎えました。申し訳ない…。

最後に掴んだリーグ優勝 信じ、頂点へ

伊勢の舞台
沢山の応援、ありがとうございました!

大学の大切な同期を最後に。ありがとう!